テレビやYouTubeで、芸能人が「警備員に止められた」というエピソードを笑い話にする場面は、もはや定番になっている。「顔パスで入ろうとしたら、止められちゃったんですよ」——スタジオは笑いに包まれる。だが筆者は、この笑いの構図にずっと引っかかりを感じている。
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止めるのが仕事、というだけの話
警備員は施設の安全を守るために人物確認をしている。それは形式ではなく職務の核心で、「例外なくチェックする」ことにこそ意味がある。有名人だからと手続きを省けば、それはむしろ職務怠慢に近づく。よく似た人物や、なりすましが入り込もうとする可能性は常にある。つまり「止められた」という出来事は、警備がきちんと機能していた証拠でしかない。
「認識されるべき」という前提と、笑いの向かう先
そもそも「顔パス」を期待すること自体、「自分は特別な存在として認識されるべきだ」という前提を含んでいる。警備員は毎日大勢の人と接していて、すべての芸能人の顔を覚えることを職務として求められているわけではない。
そして、芸能人と警備員のあいだには社会的な影響力の大きな差がある。影響力のある側が公の場でこの話を披露すると、本人は自虐のつもりでも、笑われる対象はしばしば「気づかなかった警備員」の側にずれていく。特権的な立場から、立場の弱い人を笑いの材料にする構図に、語っている本人だけが無自覚——そういうことが起きやすい話型なのだ。
「止められた」を笑い話にするより、「ちゃんと止めてもらえた」と言い換えるくらいの感覚が、影響力を持つ人にはちょうどいいのではないだろうか。


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